大学から始めた陸上競技。
脚はなかなか速くならなかったし、ケガにも泣かされた。
脚で魅せてくれる先輩たちや同期、後輩に幾度となく憧れた。
彼らみたいにみんなを感動させるランナーの一人でありたい、と思っていた。
大学3年の初夏に僕は骨折をした。
骨折している間、まともな運動は不可能な事を解っていながら、無茶な事を沢山した。
それは「走りたい」という欲求があったからだ。
骨折が完治し、夏合宿でみんなと一緒に走れた時凄く嬉しかった。
「走ることが出来る」っていう何でも無いことが幸せだった。
過去にも似た経験がある。
小学校5年生の時に僕は左膝の膝蓋骨の腱を損傷した。
しばらくは運動することが出来なかった。
しばらくして少しの運動が出来る様になった時、本当に嬉しかったことを覚えている。
だけど、僕はそれ以来左膝と丁寧に付き合っていかなければならなくなった。
高校の時器械体操部に所属していた時に何度も何度も僕を襲った膝の痛み。
この時自覚した。あの時の損傷は今もなお脚に留まっていて、完治はしないのだと。
丁寧に付き合っていけば支障の無い程度で、
でも丁寧に生きていない僕にとってその障壁は限りなく高かった。
自分で意識するのも、他人に知られる事も怖れていた。
大学2年生の時に、広島から横浜まで自転車で走ったときもそうだった。
7日目の朝。富士市から箱根を越えて一気に下り、そのままスパートをかけて桜木町を目指したとき、
膝の痛みは限界を迎えていた。涙が自然と溢れた。
もちろん、疲れもあるし痛みもある。ゴールが後少しの所にあるという感慨もある。
その涙の原因は他ならぬ、膝を酷使してしまった自分が愚かだと思ったからだ。
しかし、それ以上に、この位の酷使に耐えうるまでに回復した事に感謝を覚えていた。
走る事の出来る喜び。運動出来る事の喜び。
それは、僕の人生の中ではかけがえのない喜びなんだと。
僕は記録で誰かを感動させる事は出来ないし、魅せられる様な走りも出来ない。
だけど僕は僕なりの方法で精一杯走るし、それでいいのだとも思う。
明日が集大成。
部活もゼミもソフトボールも飲み会も全力でやってきた、その全ての集大成。
捨てた物も拾い集めた物も、かけがえのない物も、腐れ縁な物も。
脚が短いのも体調を壊しやすいのも自己顕示欲の強さも独占欲の強さも。
僕の4年間を明日の100mという距離の中に全て、出し切りたい。
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コメント
無題
気負いすぎずに、最後こそ楽しんで頑張ってきな!
posted by Colonel at 2007/10/13 00:09 [ コメントを修正する ]