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2025/04/20 20:10 |
さまよう刃
というわけで東野圭吾のさまよう刃を読みました。

あらすじは、一人娘が少年たちの「遊び」によって蹂躙されて死に至らしめられ、
発信者不明の密告電話により主人公・長峰が復讐をするという話。
現状の少年法は加害者の未来を重んじるもので遺族の気持ちが考慮されない、
というやるせなさがストーリー全般に横たわっている。
加害者の家族の視点から書かれた「手紙」とは対をなす作品。

そもそも法律は改正される。改正されるという事は「完全では無い」から改正される。
作られた当初は完全だったかもしれないが、時代の流れによって「変わっていくべき」ものだ。
変わっていく事がむしろ正しいのだろうと思う。
では、完全では無い法律に則るとはどういう事なのだろうか。
そこには必ず理不尽さとか、遣る瀬無さとかが漂うだろう。


一人娘がレイプされた挙句、死に至らしめられた長峰の気持ちは痛いほど解る。
長峰が決して狂人ではなくどちらかと言えば紳士的な人間だからなお更だ。

おれが彼の立場だっても、きっと復讐を考えるだろう。
よく「そんな事をしても死んだ人間は生き返らない」とか
「天国にいる被害者はそんな事望んでいない」とか言って宥めるシーンが見られるけど、
この発言も遺族の気持ちをまったく蔑ろにしているといって良いだろう。
婦女暴行・傷害致死で少年院に入れられた少年が
世間が忘れ去った数年後に別の名前を与えられて、
ノコノコ出所してまた罪を犯す可能性を考える。
そんな奴を野放しにしてていいのか?って思う。
親父が娘の敵をとろうと加害者を殺しても、確かに娘は浮かばれない。
でも、悲しみもしない。喜びもしない。
死んでるんだから。無念な気持ちのまま。
なら何をしても変わらないだろう。
むしろ、自分の気持ちを救うために復讐を考えることは当たり前じゃないだろうか。
どうせ、これ以上もう失うものは何も無いのだから。

だから、この人の復讐が達成されることを心の中で祈りながらページをめくっていた。


確かに「被害者の気持ちは解るけど復讐はいけません」ってのが正しいんだよ。
だけど正しい事を守ることが正しいのか、と言われればはなはだ疑問です。

それは何も復讐とか過激な話に限ったことじゃない。色々と。


とか。


また夜に普通の日記書きます。
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2008/06/08 14:04 | Comments(0) | TrackBack() | 日常

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